新しいあたりまえ
僕が住むまちの近くに県庁所在地がある。
そこでは、市の行政主導だが、毎年6月に全国的にも有名(と思われる)な祭りが催される。
近年は、祭りのゲストにタレントを起用して集客増につなげている。
しかし僕は、多少長く生きているが、この祭りを見にいったことがない。祭りがきらいなわけではないが、どうしても足が向かない。
県内にはほかにも、由緒ただしい全国区的な祭りがある。興味はあるが、やはり腰があがらない。
人があつまるところをさける傾向はあるが、人がきらいなわけではないので、これはどうも「ハレ」と「ケ」の問題らしい。
やはり「ケ」のほうに興味があるようだ。性格が地味で凡庸なせいなのだろうか。それとも、人に会うととりあえずあやまってしまう、卑屈な営業マンのような性格が問題なのだろうか(まあ誇張ですが)。
たぶん、日常の「あたりまえ」のなかにこそ、人間のおもしろさがある、と思っているからだろう。
僕はまもなく日本をはなれる。単身赴任である。
そのことが友人・知人に知れわたると、いつもは疎遠であった者たちからも音信があり、会ってビールを飲んだり、たがいのこれまでの紆余曲折をたしかめ合ったりする。
それはありがたく、楽しいひとときだったりするが、どこか「あたりまえ」ではないような気がして、いくぶん居心地が悪い。
あたりまえの日常をすごしていると見えなくなってしまっていたこと(もの)が、あたりまえでなくなろうとすると急に光り輝いて見える。病気になって初めてわかる……っていうアレに近い。
まあ、連れ合いがにわかにF原N香に見えたりはしないが、多少当たりがやさしくなったように感じるのは、気のせいか。
向こうに渡ると、しばらくは「ハレ」でもなく、あたりまえでもない、祭りのような日々をすごすことになるだろう。これまでのあたりまえから、新しいあたりまえのなかに入ろ
うとしているのだからあたりまえだ。
そして、新しいあたりまえの日常を手に入れたときに、僕の中国での生活が始まる。(^_^;)