リーダーの資質

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
 年明け早々、寒波襲来である。元旦の朝は20cmぐらいの雪。雪国の正月らしいといえばそうだが、今年はそんな個人的な感傷にひたる前に、ついべつのことを考えてしまうのである。
 町内の除雪は大丈夫だろうか……などと、さっそく町内会長の悲しい性が頭をもたげるのである。
 そういえば前任者は年末に、「◯◯さん(僕のことね)、正月はないよ、フフ……」といって、膨大な書類や資料の束をドサッと置いていった。
 それらの物理的な重さよりも、責任と心理的な重さを感じてしまい、足どりも軽く立ち去っていく前会長の姿をボーゼンと見送った。
 そうやってボーゼンとしていたらすぐに年が明け、彼のいうとおり正月どころではなくなった。
 しばらくは、何から手をつけていいのかボーゼンと過ごしたが(ボーゼンとしてばかりだが)、こういう状態では何も進まない、ということにようやく気づき書類のチェックからはじめた。
 町内会長というのは、ほとんど全国的にもそうだと思うが、なり手がいなくてどこの町内会でも苦慮しているようだ。
 昔の「町の世話役」というイメージは、どちらかというと好ましいものだったが、今の町内会長はどう見ても「町の雑用係」である。
 もう少し地位向上をはからないと、近い将来崩壊する町内会が続出するだろう。
 では、そもそも町内会は必要かというと、やはり自治会的な何かは必要だろう。
 仮にすべてを行政や委託された民間企業が担うとすれば、お金もかかり、何より住民の自治意識が育たず社会は荒廃してしまう。
 民主主義はめんどうで、けっこうしんどいのと同じように、種々雑多な町内の住民にゆるやかな「おらが町」意識を持ってもらうのは、大変な時間と労力がかかるのである。
 リーダーが凡庸でも務まるのは、民主的な社会と発展した経済が背景にあるからである。だから、「雑用係」的なリーダーで十分、むしろそれが望まれているのである。
 そう分析するとちょっと悲しいけれど……。(;_;)
(photo:札幌羊ヶ丘にて)