残すことのいろいろな問題

 『はだしのゲン』の主人公、ゲンの顔がまずもって怖かった。……などというとしかられるかもしれない。しかしそれは作者の画風だからしかたがないが、当時の少年漫画の主人公の容貌からは多少逸脱していたかもしれない。
 それだけに余計際立ち、強い印象を残すのだろう。もちろんゲンの顔だけではなく、内容が衝撃的なのはいうまでもないがーー。
 そんな『はだしのゲン』が、この夏思わぬかたちで脚光を浴び、売上をのばしているという。
 山陰の、とある自治体の教育委員会が、この漫画を小中学校の図書館で閲覧制限しようとしたことがことの発端である。
 新しくもないこの漫画を、なんで今更、という感じである。これを少年少女に見せたくない、という勢力が跋扈してきた、ということだろうか。都合が悪いことを隠そうとする勢力は、どこであれロクでもない。
 ゲンの話しは広島だが、長崎では隠そうとしてまんまと成功した話しがある。この夏読んだ『ナガサキーー消えたもうひとつの「原爆ドーム」』(高瀬毅著/2013年/文春文庫)にそれは記されている。
 広島と同じ原爆被災地でありながら、広島の「原爆ドーム」のようなシンボリックな負の遺産がなぜ残されなかったのか、という謎に迫るノンフィクションである。
 長崎には「浦上天主堂」という、原爆ドームに匹敵するような、見事な(もちろんいい意味ではないが)被災地跡があった。ところがアメリカは、ここを撤去しようと全力で画策する。
 遺跡として残せなかった長崎の歴史的な風土、当時の市長の不可解な行動、歴史の裏舞台などを、この本は追求して見せてくれる。
 それにしても、アメリカという国の底知れぬ恐ろしさ。そして、それは当時の話しではなく、現在までつながっている。
 「ヒロシマナガサキ」といういい方はされるけれど、被爆地のネームバリューはどうしても「ヒロシマ」が勝る。それはやはり「原爆ドーム」があったからだろう。
 直接被爆した人々が少なくなり、伝え聞いた後の世代も、記憶は時間が経てばうすれていく。しかし、物理的な被爆現場は記憶をつなぎ、雄弁にその当時を物語る。
 津波被災地の惨状を一部そのまま残そう、という動きがある。地元ではどちらかというと否定的な意見が優勢らしい。部外者がもっともらしいことはいいたくはないので、ほんとうによく考えて決めてほしい。
 残したくなくても、ずっと残ってしまうものもある。関係者にとっては、最も隠したいものだろう。ーー東電福島第一発電所。(;O;)
(photo:空のかたち。四阿山にて)