正しいことの扱いにくさ

 人の意見を素直に聞き入れられないときがある。
 たとえば、子どものころ親から「勉強しろ」といわれると、きまって反抗したものである。そろそろやろうかな、と思っていた矢先にいわれたりするとほんとうに、今風にいえば、ムカついたものだ。
 かつて煙草を吸っていたころ、友だちや会社の同僚から「いいかげんにやめたほうがいいぞ」といわれたときも、けっ、と思ったものだ。
 仕事のミスを指摘されても認めなかったり、連れ合いから「もっと早く帰れないの」といわれると、理不尽だと感じた。
 みんな僕のために忠告してくれた、心やさしい人たちなのだが、自分はどうしてこうも素直になれないのかと、恥ずかしさのあまり、入る穴を探したりする。
 「すみません。わたしが悪うございました」といえないのは、どうも、正しいことをストレートにいわれたときらしい。
 むこうが正しい、と自分でも思うから、とっさに反論できない。しかし、直ちにいわれた通りにするのもくやしい。気持ちがひるむからよけいに反抗してしまう。そういうメカニズムだと思う。
 こういうこともある。
 先日、ある講演会を聴きにいった。講師がまず聴衆に向かって、「こんにちは」とあいさつをした。聴衆からの返事がまばらだったせいか、講師は「返事が小さい!」と叫んだ。
 その講師はもう一度あいさつをし直し、いくぶんマシになった聴衆の反応を確かめてから、「あいさつの大事さ」について説教し出した。
 しかしなぁ、学校の授業じゃないんだよ。まったく勘ちがいな講師であった。
 そう思うと、ひるがえって自分は、ひとりよがりな正しさを振り回していないか、ということが心配になってくる。
 ときどき、金融機関の窓口の、あまりにも杓子定規な対応に腹を立てる。精神の安定を欠いているとき、いつかクレームをつけてしまいそうだ。(-_^:)
(photo:関空第2ターミナル。LCC専用)