桜と目覚め

 昼ごはんを食べに入った店に、どこかぎこちない雰囲気の若者がちらほら見られた。
 今日から社会人になった連中だろう。昨日はさぞ憂鬱な一日を過ごしたことだろうな、と少し同情する。でも、それは僕の意地悪な感覚だからちょっと偏見かな……。今日が待ちどおしかった若者も大勢いる……かもしれない。
 30数年前の自分を思い出してみると、やはり慣れないスーツを着て、ロボットのように歩いて初出勤したような気がする。緊張のあまり足がつったら、匍匐前進してでも進まなければいけない。と、あのときは思った(と思う)。
 入った会社は毎年3月から6月までモーレツに忙しく、新入社員といえども、またたくまに前線に送り込まれ戦力にされた。
 だから春から初夏にかけての季節は、世の中の明るいイメージとは裏腹に、胃がもたれるような重くて暗いシーズンだった。それがトラウマのように、退職後もしばらく引きずったのである。
 さて、桜に狂喜乱舞する日本人だが、外国人から見るといささか奇異にうつるらしい。そりゃそうだろう。溺愛されている、といってもいい桜の地位。しかも「花見」というユニークな行動様式が存在する。
 桜は日本の国花のような位置づけだが、では、中国人が牡丹のまわりで宴会したり、韓国人が木槿(むくげ)を愛でてカラオケ大会をしたり……などとはきいたことがない。
 桜がどうしてこれほど日本人の精神性に深く入りこんでいるのか。それは日本の風土や文化に根ざし、連綿と人々に育まれたDNAのなせるわざなのだろうか。
 桜の花を目にして人々は覚醒し動き出す。4月から新しい年がはじまるという感覚は、どうも僕たちの体内に埋め込まれたスイッチのようだ。
 アドレナリンが分泌して、ファイト一発! と叫ぶ、とか。そんな作用があるような気がしてならない。だから高じれば、桜は人を狂わすのである。
 さて、世界の国の “国花” はというと、バラやチューリップがずいぶん人気が高いようだ。もちろん桜は日本だけだが、スロバキアの国花は少し変わっている。
 ーージャガイモの花だって。渋っ。(^^)
(photo:金沢四高記念館と桜。2012年)