危ない大人の遊び

 小さいころ、「銀玉鉄砲」で遊んだことがある。
 銀玉というのは、材質には石膏かなにかを使っていて、それを丸く固めて表面を銀色で着色したものだった。直径は5mmぐらいだったと思う。
 その玉をプラスチックのちゃちなモデルガン(コルトやワルサー)に込めて発射するのだが、装置は弱いスプリング方式だったので、玉の威力はほとんどなかった。
 それでも至近距離で肌に当てられるとけっこう痛く、子ども心にあれはあれで痛みを伴うスリリングな遊びだったような気がする。
 しかし撃ち合いをしても、当たった当たらなかったでケンカになったり、当たっても、オレはじつはサイボーグなんだ、といって死ななかったり、というルール無用な事態にすぐさま発展するので、銀玉鉄砲もしだいに飽きていった。
 ーーそんな遊びはだいたい男のガキの世界のもので、銀玉鉄砲に限らずずいぶん好戦的な遊びをしていたものである。
 たとえちゃちなモデルガンであっても、少年のころは、それが人を殺傷する武器のイミテーションだという自覚がうすく、それを持つことがむしろカッコイイと思っていた。
 でも今は、たとえそんなちゃちなものでも、相手が子どもであっても、そういうものを向けられるといい気はしない。それがふつうの大人の感覚だろうか。
 中国艦船から日本の海上自衛隊護衛艦に向けて射撃用レーダーの照射があった(らしい)、という事件。
 中国側は事実を否定しているので、真相は藪の中になりそうである。もちろん日本側の発表を信じたいところだが、国民の思いとはべつなところで国は動いているので、100%信じることはできない。
 尖閣問題をこじらせても、両国の一般庶民にとって何の利益もない。
 武器を手にすれば、それを使いたくなるのが人間の本性だろうか。軍部の独走で戦争に発展する例はいくらでもある。
 両国の好戦的な連中は、「銀玉鉄砲」を通過儀礼として、ちゃんと経験してこなかったのではないか。今になって物騒なものに手をかけるのはやめてほしい。(`_´)
(photo:よくやるなぁ、と思わず苦笑。コロンス島にて)