「英雄」とは誰のことか?
最近「英雄」が気になるのである。
もちろん「ひでお」ではなくて「えいゆう」のほうだ。「ひでお」くんは今回どうでもいいのである。
日本では、日常的にこの「英雄(えいゆう)」という単語に出くわすことはほとんどないであろう。意味は知っていても使える状況がほとんどないし、だいいち現代では使いにくい単語になってしまった、といえる。
自分にとっての英雄は誰か? 歴史上の英雄は? と考えてみても、「英雄」という使い慣れない(めったに聞かない)単語でひっかかってしまう。
英雄? ヒーローのことだよね? どちらかというと横文字由来のこちらのほうが、全日本的にはしっくりくるようだ。
ではあらためて、ヒーローは? と聞かれると、ワリとすんなり出てくるんじゃないだろうか。
ちゃんとした日本語があるにもかかわらず、外来語に取って代わられたことばはたくさんある。でも、だいたいカタカナ語のほうがカジュアルである。などと、思わずカジュアルに使ってしまうのだが。
それでね、「英雄」と「ヒーロー」はどうちがうのか、という問題なのであります。
なんとなく「英雄」のほうがえらいような気がするのである。えらい、といっては語弊がありそうなのでいいかえると、なかなか見つからない対象、とでもいうべきなのだろうか。
これが日本の、大勢をしめる感覚ではないか、と思う。
ところが、日常的にすぐさま「英雄」が出現する国もたくさんある。たとえば、中国と韓国である。
言語がちがうので、日本語訳にするとやっぱり「英雄」になってしまうのだろうけれど、そんなにかんたんに英雄が出てきていいものだろうか、と思う。あるいは、それって英雄なの? と思ってしまう。
おそらく「英雄」の定義が少しちがうのだろう。
だからとやかくいってもしかたがないのだが、問題のある島に上陸したら「英雄」? オリンピックで金メダルをとったら「英雄」? と、英雄を知らない日本人(僕のことだが)は思うのである。
「英雄」とは、人々を危機から救う者のことである。と、アナクロ的な感覚を吐露すれば、たぶん誰かに嘲笑されるだろう。(-。-;)
(photo:明朝末期の「英雄」、鄭成功)