長い一日、短い一生

 ここ数日はちょっと忙しかった。週の後半をワープし、気がつくと週末だった、というような感覚だ。
 失われた約3日間――。何かをやり遂げた、という実感もないが、いったい何をしていたのだろうか。
 自営の仕事、打ち合わせ、来客、タイヤ交換、畑の耕起……などなど、振りかえると一応いろいろあったようだ。
 しかし、それぞれの内容はといえば、けっして充実感を得るものではなかった。それが、記憶にアクセントをつけることなく、時間が平坦に流れたため、印象が乏しいものになったのだろう。
 なにも忙しいなか、タイヤ交換などしなくてもよさそうなものだが、その週にやることとしてスケジュール帳に記したからには、その項目を消去してしまわないと気がすまない。
 まるでスケジュール帳に管理されているような始末である。そういう自覚もあるが、几帳面とはちょっとちがう。将来、融通がきかない頑固老人になる資格十分かもしれない。
 3台の車を冬タイヤから夏物に、そのうち2台は軽ではあるが、全部作業するには骨が折れる。タイヤのナットを外したひょうしにポキリといかないように、骨粗鬆症にはこれから気をつけなければいけない。
 若いころより時間の流れが速くなったように感じるのは、そうやっていろいろなことを気にかけながら生きていかなければならなくなったからかもしれない。
 ところで、こういう「なければならなくなったからかもしれない」などという表現はもっと簡略にできないものか。と、ときどき思うのである。でも、口語ではあまり使わないから変化していかないだろうなぁ。
 で、トシとともに体力は落ち、シンプルな生き方を考えないといけないのに、頭のほうは煩悩がたまる一方だから、身体の動きのワリには物事の進行がおそい、という状況になる。
 それでまあ、時間の経過が速く感じてしまうのだろうなぁ。そろそろ正月の準備をしないといけない。お盆などを考慮していては間に合わない。
 いやその前に今週の予定は……休眠口座の解約? 撮りだめ写真の整理? めんどうくさ! (-。-;)
(photo:ストラップを着ける習慣はないが、これは気に入った。長崎グッズ)