石油は誰のものか(2)

 すっかり中年の容貌になったトム・クルーズのヒット作、『ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル』(ブラッド・バード監督/2011年)は、脚本の荒っぽさを割り引いても十分楽しめる作品だった。
 物語後半の主要な舞台となっていたアラブ首長国連邦のドバイは、まさにオイル・マネーでつくられた人工都市である。
 国土のほとんどが砂漠であるアラブの国々は、原油という地球の遺産にたよって生きるしか術がない、という事情は理解できる。
 しかし、去年いきなり胎動をはじめた、「アラブの春」という民主化運動からも明らかなように、オイル・マネーで潤っている国でも、その富は決して人々に公平に分配されていたわけではない。
 かように、地底の奥深く、リンゴの皮のような地殻のなかに眠る原油は、地球人全体の財産である。産油国に富や利権が集中するのは多少はやむをえないとしても、少なくとも戦略物資として政争の材料にするのはやめてほしい。輸入にたよる日本や、経済力のない発展途上国はたまらない。
 結局は不公平にできているのである。早い者勝ち、力の強い者勝ちの世界になっている。鉱物資源や水もしかりである。
 そして、これから問題なのは食料である。ここでは農産物はちょっとべつにすると、心配なのは水産資源である。
 象徴的な事例に、マグロの問題がある。最近ではかなりポピュラーな話題なのであらためて述べないが、つまり世界中で魚の消費量がふえてきた、ということである。
 日本のマグロ消費、調査捕鯨がよくやり玉にあげられるが、これも、海の魚(鯨は魚ではないが)は誰のものか、といわれると日本の立場はそうとう分がわるい。
 これはもう、地球の資源を人類が喰いつくす時代に入ったのか、と思うと、誰しもおとなしく並んで待つことなどしないだろう。
 そんな我先の社会も見苦しいが、『ミッション・インポッシブル……』で今回登場する狂信的な学者、つまり、核を使って人類の浄化をはかろうとする究極な身勝手な考え。それだけは願い下げである。(-_^:)
(photo:普正寺の森にて)