甘かった認識と再認識
はからずも、自分がネット中毒になっていた、ということが露呈してしまった。
学生に、「寮のネット回線が不通になって、メールもできなくて、ヒマで困っているんだよ」と訴えると、「先生は、活字中毒で本が好きだ、といっていましたから、本でも読んだらどうですか」といわれた。
うむ〜、ごもっとも。返すことばがない。
寮の学生の多くは、パソコンは持っていても家族と共有だったり、防犯上の理由から自宅に置いたままだったりするので、毎日使っているわけではない。なので、多少冷ややかな態度なのである。
いくぶん反論すると……ネットで日本語関係のサイトから情報を得る、あるいは、資料を引っ張ってくる。なんてこともするので、ネットが使えないとヒジョーに困るのだ。このブログもそうだし、メールのやりとりもそうだ。
しかしやはり、インターネットは、今や一人暮らしの、娯楽の必須アイテムになっていることにはまちがいない。一方的な、テレビなどとはそこのところが決定的にちがう。
だからここ2〜3日は、寮に帰ってもなんだか味気なく、シャワーを浴びてビールを飲んだら、さて寝るか。というような、柔軟性を著しく欠いた、一直線思考の毎日だった。
まあ、依存症ですね。早く気がついてよかった。このままいくと、きっと病状が悪化して、どこかの更正施設にでも入らないといけなくなったかもしれない。
おそらくそこでは、電子機器から隔離された、厳しいリハビリメニューが用意されているはずだ。たとえば、外部との接触は手旗かモールス信号、手紙に限られたりするんだろうなぁ。
うひゃ〜、それじゃあアーミッシュですな。とても更正できる自信がない。
ああ恐ろしい。と思っていると、意外と早く復旧した。手足のふるえもこれでおさまったし。めでたしめでたし。
……かように、中毒からの脱出は困難である、ということを再認識した。(^_^;
(photo:泉州名物、デイゴの花)