始まれば、終わる

 よく、「終わりの始まり」などという言い回しを聞くことがある。なんだか迷路に入ったような言い方だが、確かにだれもがその連続で毎日生きている。
 旅は、出かける前がいちばん楽しいといわれる。期待に胸ふくらむ、っていうやつだろう。ところが、始まってしまえば、終わりにむかって時間はひた走る。
 短い時間や長い時間。すべてに、始まりがあって終わりがある。始まってしまうと、その瞬間から終わりに向かう。それぞれの時間は楽しいものばかりではなく、激しい気持ちの変化をともなう、大きな振幅を持つ時間もある。
 たとえば、僕は春節休みに帰国して、骨休みするのを楽しみにしていた。そして、中国へもどるまえに寄るネパールにも心を踊らせていた。
 しかし、またたく間に時間は消費され、今呆然としながら、思い出したようにキーをたたいている。
 カトマンズ盆地でおびただしい神々の姿を見てきたせいか、どうやら精神のネジのひとつふたつが、キコキコいいながら動き出したようだ。
 まあ平たくいえば、まだ社会復帰していないのである。
 泉州にもどってきてからは、ずいぶんと時間の流れがおそいのである。アレ? まだ火曜日じゃないか、と。GPSで位置確認をするように、立ち止まって自分の立ち位置をたしかめないと、何かを見失ってしまいそうである。
 学生たちとの格闘の日々がまた始まった。そしてまた、ずんずんと終わりに向かっている。とりあえずは学年末である。そのなかには、小さな時間もたくさんある。
 その先はなんだろう。宇宙の果てをさぐるように、自分の人生の果ては見えない。始まった人生は終わりに向かって走っているが、今どのあたりなのかはわからない。
 おお、あまり使いたくない「人生」という単語を使ってしまった。しかし、それに代わる適当なことばがないからしかたがない。
 まっ、ネパールへ行ってくるとしばらく変調をきたすのである。いつものことだ。常日頃から、あいつはおかしい、と思われているフシがあるので……これでいいのだ。謝謝。(O_O)
(photo:カトマンズにて)