冬の朝

 おそらく今この町で日本人は僕ひとりだろう。と、なんの確証もなく、ふとそんなことを思った。でもそれは思い上がりかもしれないな、とすぐさままた思いなおした。
 約束の時間まで辛抱できす、僕はチェックアウトした。ホテルの部屋のたばこ臭さに耐えきれなかったのだ。中国はまだ喫煙者天国である。やむをえない。
 ロビーで人を待った。外を見ると、陽光に暖かなぬくもりを感じたので、さそわれるように玄関を出た。
 でも、包み込むようなやさしい外気ではなかった。12月の冬の光はいくぶんまぶしげではあったが、寒気を打ち消すほどの力はなく、僕は足もとから寒さに襲われた。それでも、日がふりそそぐ朝の空気は気持ちがよかった。
 ホテルの前の通りを渡ると大きな川だ。川縁の遊歩道をゆっくり歩いた。風はほとんどないが、それでも川面を伝ってくるわずかな風は冷たい。
 この町の人々ものんびりと歩いている。朝の散歩にはちょうどいい。老境の夫婦がことばを交わしながら歩く後ろ姿を追う。孫のような子を背負った老女や、元気に走り去っていく少年。追いかける父親。
 遊歩道のそばに設けられた小さな公園には、子どもたちが飛びまわり、大人たちが談笑している。交わされている会話をのぞけば、日本でも見られる風景である。
 ベンチに腰をおろしそんな様子をぼんやりながめていると、中年男性に話しかけられた。公園で遊んでいる少女の父親らしく、ときおり少女に向かって手をあげる。
 つたない中国語で僕は会話した。しかし、なまりが入った男性のことばは聞き取りにくく、理解できる単語を手がかりに話しをつないだ。それが通じたのかはわからないが、男性はときどきうなずいた。
 川縁より少し高くなっている通りのほうから声がした。僕を呼ぶ声だった。みんな手をふっている。昨日からこのお茶の町A県を案内してくれている、僕のクラスの学生ふたりと本校の先生だ。
 僕は少女の父親に別れをつげ、通りに向かって手をふった。たばこの臭いが染みついたホテルの部屋など、とおに忘れていた。(^◇^)
(photo:やさしげな川面もやはり冬の川)