What's 世界遺産?(その2)

 五箇山の合掌造り集落が、世界文化遺産に登録されたのは、15年ほど前である。かつての秘境は、いまや日本が誇る一大観光地だ。
 僕はずいぶんむかしの五箇山も知っているが、その変貌ぶりには何と形容していいのかわからない。ありていにいえば、五箇山五箇山でなくなった、というしかない。
 そこに人が生活し、文化や習俗が連綿とまもられてきている。そのことの全体が「文化遺産」なのではないか。観光地化と、うけつがれてきた暮らしは両立しないのではないか。人々の生活は一変し、まもってきたものが失われていく。そうすると、それはすでに「文化遺産」ではないような気がする。
 世界文化遺産の登録基準にはいくつかあるが、おそらく福建土楼五箇山とおなじなのだろう。
 中国では今、国内旅行が大ブームである。富裕層は海外へと出かけていくが、やはり国内旅行が中心である。ツーリズムがまだ発展途上なので、ほとんどが団体旅行である。添乗員の旗のもとに大挙しておしかけ、記念写真を撮って、土産物屋をまわってさっさと帰る。かつての日本もそうだった。いや、今でも日本人は好きだが。
 そんな中国人観光客で、土楼ももちろん例外ではない。
 土楼は階層構造になっていて、2階より上はそこに住む人たちのプライベート区域のため、立入禁止である。おそらく住人は、むかしの暮らしを捨て、下で観光客相手の商売に宗旨がえしたことだろう。今のところカメラを向けても金銭は要求されないが、そのうちくしゃくしゃの1元札を何枚かポケットに用意しておいたほうがいいかもしれない。
 世界遺産は何をまもるのだろうか。まもるというより、産み出すと考えたほうが据わりがいい。産み出したものはどこへいくのか。どうも地元には、皿からこぼれたものしか落ちないらしい。そうすると、ずっと上のほうか。さすが中国である。
 世界遺産の意義については、ここではやめよう。僕のからっぽ頭で論じられるものでもないし。
 まあしかし、そこに住む人々の素朴な生活をそのままみせてくれ、なんてとても虫のいい話しである。土楼は一見にあたいするものの、人の息吹が感じられないのは、この種の文化遺産の限界か。
 ざんねんながら、僕たちを案内してくれた陽気な3人の若者のほうが、妙に印象にのこっている。やっぱり旅は人か。(・o・) ※次回は写真を少しのせます。
(photo:裕昌楼の内側)